日本人会会報 通巻14号 |
発行 1998年12月
去る10月13日(日)第8会日本人会総会にて次の役員が選出されました。
同メンバーにて98年度の日本人会運営を行いますので、皆様のご協力をお願い申し上げます。
| 名誉会長 | 斎藤 正樹閣下 | 駐カンボジア日本国特命全権大使 | ||
| 会長 | 篠原 博 | 三菱商事株式会社 | ||
| 副会長 | 諸 英樹 | シェア=国際保健協力市民の会 | ||
| 役員 | 新井 博之 | 国際協力事業団 | ||
| 役員 | 阿部 将任 | 在カンボジア日本国大使館 | ||
| 役員 | 佐藤 一仁 | クボタ建設株式会社 | ||
| 役員 | 東 秀樹 | 難民を助ける会 | ||
| 役員 | 前田 正紀 | 栗原工業株式会社 |
尚、当会の会則が総会にて次ページの通り改定されました。
| 1998年 | 11月 | 29日 | (日) | 卓球大会 | ||
| 1998年 | 12月 | 5日 | (土) | 第1回プノンペン日本語スピーチコンテスト | ||
| 1998年 | 12月 | 13日 | (日) | 忘年会 | ||
| 1999年 | 1月 | 17日 | (日) | ソフト・ボール大会 | ||
| 1999年 | 2月 | 14日 | (日) | 運動会 | ||
| 1999年 | 3月 | 7日 | (日) | テニス大会 | ||
| 1999年 | 4月 | 18日 | (日) | ボーリング大会 |
| ゴルフ大会 | : | 年間4−6回のペースで随時開催します。 |
| 日本語教室 | : | 11月に新学期が開校されました。前期の生徒を引き続き教育することとし、講師役は阿部領事奥様、柿田様奥様、明瀬様奥様にお願いしております。 |
| BASSACの会(英語教育の奨学金制度):11月21日に奨学金支給を行いました。 | ||
| 第一条 | 本会は、カンボジア日本人会と称する。 | ||||||
| 第二条 | 本会は、カンボジアに滞在する日本人及びその家族を対象とする。なお賛助会員はその限りではない。 | ||||||
| 第三条 | 本会は、以下の3つの目的に沿って運営される。
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| 第四条 | 会員の構成、会員の権利及び義務
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| 第五条 | 総会
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| 第六条 | 役員
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| 第七条 | 本会の運営は、役員会によって行なわれる。 | ||||||
| 第八条 | 本会則は、
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(細則)
| 第一条 |
会費
但し6ヶ月未満の会員は上記の半額とする。 | |||||||||||||||||
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私もカンボジアへ来て早2年。任期も残り少なくなってきて、そろそろ生徒の卓球大会をやって帰国しようと思っていたところに日本人会から卓球大会の企画があるということで、去る11月29日に日・カ友好卓球大会が実現しました。これは日本人会の皆様を始めたくさんの方の協力により無事大成功で終わったことをここに報告します。
当日の参加者は日本人会会員25名、身障者および孤児院の子供たち41名、合わせて66名でした。結果は私の予想に反して日本人会の方が健闘され(ごめんなさい)私の生徒は3位がやっとでした。大会後、身障者の1人が「俺達は足がないから不公平だ」と言っていましたが「負けたくなかったらもっと練習しろ」と言っておきましたので、皆さんも大会に出ていた生徒を見掛けたら、一声かけてください。1ヶ月前からの準備も済み、本番ではクメール卓球協会の監督が必要以上に仕切ってくれたので大変助かりました。監督がぼそっと「一番手前にあったフランス風の卓球台は、内戦前に40台買ったものだが、内戦後にはあれ1台しか残らなかった。」と言っていました。戦争の傷痕が少しだけ見えた気がしました。無事本番も終わり、エクストラマッチでは私は優勝者に吹っ飛ばされ、更なる修行が必要だと感じました。とにかく、全行程が終了し一安心しております。これで私も日本に帰って就職活動を思う存分できることでしょう。今回、ご協力ご参加頂いた方々、本当にありがとうございました。今回都合で参加できなかった方も、来年また大会を催すと思いますので(多分)よろしくお願いします。ゴールはまた新たなスタートであることを心に刻み、皆々様のご健康とカンボジアの平和を祈りつつ。
[結果]
| 1位 | モニハラディー(前田建設) | |
| 2位 | 黒岩(JICA) | |
| 3位 | 篠原(三菱商事) | |
| 同 | チョンポリン(孤児院) |
| * | 本大会開催に際し、日本人会及び下記の皆様より御寄付を頂き御礼申し上げます。 |
| 日本人会 | 82$ | |
| クボタ建設 | 30$ | |
| 栗原工業 | 30$ | |
| 前田建設 | 30$ | |
| 三菱商事 | 30$ |
以 上
米は東南アジアだけでなく、古来、人口維持に大きな役割を果たしてきたし、今や世界的に健康食品としてもその依存度が高まってきている。カンボディアは当面、農業立国を目指すのであるが、内実は1995年にようやく自給を達成したものの、かつての米輸出国を以て任ずるには未だしの状態である。 97/98産米は収穫面積 193万ヘクタールでおよそ 340万トン台になっている。稲作農家総数はおよそ 187万戸という。需給試算では、当初は十万トンもの余剰があると見込まれていた。にも拘らず、 8月には25万トンほど不足という情報が流された。 農林水産省に席を置く者として「なぜそうなるのか」と、無関心ではいられない。
内部でも半信半疑の人もいたりで、実態が掴めず、 8月末と10月半ばの二度にわたる州関係者会議でおぼろげながら様子がわかってきた。 以下、概要をお伝えしたい。
今年の雨期作は、厳しい乾期が例年以上に続き、雨は 4月半ば過ぎにようやくもたらされた事は記憶されている方も多いと思う。その雨の降り方も、代掻きや田植えをするには不十分な状態が続き、折角田植えしたものが枯死したり、移植(田植え)の遅れによる苗の過繁茂が起こったり、改めて育苗するなどの措置まで採られた事も聞いている。また、その後の豪雨で収まったものの、この間に夜盗虫やバッタ等の虫害、鼠害が発生した。ちなみに今年は水田面積 213万ヘクタールのうち雨期の作付け面積が 183万ヘクタールと見込まれている。
一方、水源の母体としてのメコン河の動態を見ると近来に無い低水位を示し、チャ・トムックでの記録は過去最低の 7.92 メートルにとどまった。これは1988年の最高水位 8。32 メートルよりも40 センチも低い。下流のコルマタ−ジュでは流入水が全く無い所も出現している。水位の上昇率、高水位の継続期間、逆流期間のいずれをとっても最低記録かもしれない。
何時もならば、トンレ・サップ湖への逆流の時期から、内陸の多くの池沼にもたらされる水は、いわば両刃の剣で、高水位は雨期作にとって洪水被害を起こす一方で、豊富な水源となる。あるいは、その出現時期によっては、雨期作、晩期稲の不時の水源として、また、乾期作の唯一の水源として極めて重要である。したがって、この貯水量の多寡は稲作のみならず畑作にとっても、時に死活問題となる。
幸か不幸か、雨は11月初め、水祭りを過ぎてまで降り、今期稲作は持ちなおしたかに見られる。当面の課題は、当初目標には及ばないものの昨年を11万ヘクタールも上回った作付け面積を維持し、刈り入れ期に真っ当に収穫できるように万全な病虫獣害対策、収穫前の旱魃への対処や適切な水管理等を行なう事であるが、関係部局で協議の上、態勢を整えている。
カンボディアの米は在来種が 2,000種以上あるといわれている。 アンコ−ルワットの時代から、この地の気候風土に見合った稲が選別、栽培されてきており、雨の降り方による収穫のリスクを最少にするよう、小面積ずつに多品種が植え付けされたものという。
戦乱によって、在来種が絶えた分はフィリピンの国際稲研究所から逆輸入されて、故国に再び息を吹き返したものがある。ほとんどが天水(水源を雨に頼る。潅漑施設の整備がきわめてわずか。)農業なので、収量は低い(平均単収は 1.6トン/ha)が地の利に合い、美味だということで好まれているようだ。 緑の革命をもたらしたIR種は高収量(単収は 3トンにもなる:いずれも籾重)であるが、施肥のタイミングや水管理に気を使うなど、より高度な栽培技術を要する。食味は土地の人には余り好かれていないという。 しかし、CIAP(カンボディア・IRRI・オーストラリア プロジェクト)の努力で、作付け面積は年々、着実に増えてきているし、乾期作の多くはIR種である。
米不足のひとつの原因は、収穫期に南はベトナム、西はタイからの買い付け人がやってきて、値の安い米(籾での売買)を現地よりも やや高値で買い取るためだ、という。今年はこのようにして庭先買いで売り尽くし、品薄になったといわれる。端境期には買い付け人の国で作ったIR種の米が売られるというのである。しかも、売値は収穫期の倍以上という。現金収入を得た農家は耕作の担い手である牛を買い、あるいは、バイクを買ってタクシ−商売に出る、という。 あながち責められる事ではないが、みすみす損をかぶるような仕組みというのは是正していかなければ、農民の所得は向上するどころか、疲弊の一途を辿り、貧困の軽減は至難の業である。
これが自由・開放経済の「つけ」であるとしたら、「カ」国の政策を見直す必要があるのではなかろうか。
[文責:工藤 浩/JICA]
青年海外協力隊
日本語教師
長澤 規子
去る12月5日土曜日、ノースブリッジインターナショナルスクールカンボジアにて第1回プノンペン日本語スピーチコンテストが開催されました。
ポルポト時代以降中断していた日本語教育が再開してから約5年。カンボジアの日本語熱は高まる一方で、巷のプライベートスクールでも次々に日本語クラスが開かれるようになりました。ところが、熱心に勉強してもプノンペンで日本語を使う機会は少なく、ましてや彼らの片言の日本語では憧れの日本企業で働くのも夢のまた夢。日本語を使いたい、日本人と友達になりたい、日本人と働きたい、日本へ行きたい。そんな彼らの思いを在カンボジア日本人に伝え、両者の交流のきっかけになればという思いから、今回のスピーチコンテストを開催することになりました。
プノンペン大学、経営大学、商務省、ウナロム寺、平成塾の各機関から全部で35人の応募がありました。日本語教師による原稿審査でそのうちの15人が晴れてスピーチコンテストのステージに立つことになりました。
当日、発表者は開場前からそわそわと集まり出し、「どうしたら緊張しないか」、「スピーチのこの部分を変更してもいいか」、中には準備に追われる教師をつかまえて「練習したいから聞いてくれ」と言う人もいました。開場すると続々と観客が集まり出しました。報道関係・審査員の人も合わせて日本人が約30名、カンボジア人が約140名という盛況ぶりで、用意していたパンフレットが足りなくなるほどでした。
スピーチが始まると、緊張のあまり言葉を忘れてしまう人や審査員の質問にとんちんかんな答えをしてしまう人、質問される前にさっさと舞台裏に引っ込んでしまい、質問を受けて慌ててステージに再登場する人もいました。逆に、練習では棒読みで恥ずかしそうにしていたのに、本番では身振り手振りをまじえて堂々と話した人もいました。国際結婚をしたいとスピーチした女の子は、審査員の「私も独身なんですが、理想の結婚相手の中に入れてもらえますか」というような質問に「よく知り合ってから考えます」と答えて、会場をわかせました。自分の一番大切なものは日本語―カンボジア語の辞書で、いつもそばに置き、まるで恋人のようだとスピーチした人もいれば、知り合いの障害者がいかにそれを克服して幸せな生活を送っているかを物語風に語った人もいました。日本語の先生との楽しいピクニックの思い出、大好きなお父さんのこと、カンボジアの教育について、将来の夢など、みんな様々なテーマで自分の思いを伝えようと一生懸命でした。最優秀賞を受賞したのは戦争の悲劇を訴え、平和を求めた男の子でした。
彼らの緊張でこわばった顔、終わった後のほっとした笑顔、観客のカンボジア人達の必死に聞き取ろうとしている様子、興奮した顔、誰が賞をとるか賭けてささやきあう姿…そういうものを見ていると、「ああ、やって良かったなあ」と思いました。賞とか賞品以上に、この経験そのものが彼らにとって一番価値あるものだったのではないかと思います。
最後に、ご後援くださいました皆様、また、当日はお忙しい中見に来てくださった方々、特に審査員の皆様には、心より御礼申し上げます。
カンボジアでは実に沢山のNGOが活動しています。NGOのネットワーク団体である「CCC(カンボジア協力協議会)」には、実に300以上の外国またはカンボジアのNGOが何らかの形で登録しています。日本のNGOは、「日本NGOネットワークカンボジア」の名簿に記載されている団体だけでも14団体もあります。NGOとはよく聞くがどんな団体が何をしているのだろうか?そんな疑問を抱かれる方も多いかと思います。そこで、この紙面をお借りして、これから少しずつ日本のNGOを紹介していきたいと思います。
JVCは、1980年にバンコクで誕生した市民国際協力団体です。JVCは、国際社会の様々な場所で社会的に困難な状況を強いられている人々とパートナーシップを築き、彼らがその状況を克服しようとする取り組みを支援します。地球のすべての人々が自然と共存し、共に生きられる社会を目指して、地球環境を守る新しい生き方と人間関係を作りだすことに取り組んでいます。カンボジアでの活動は1980年の他団体を通じての初等教育と給水活動への物質援助から始まりました。JVCカンボジア事務所が開設されたのは1986年です。現在、プノンペンとシハヌークビルで、運輸省付属の自動車修理と溶接技術訓練学校と自動車修理工場の支援と、カンダール県では、農村開発プロジェクトを行っています。
当会の活動はいわゆる“ボートピープル”が日本に次々と漂着した1979年、“日本人の善意を世界の人々に伝えよう”、と当会の会長相馬雪香が旗揚げしたことから始まりました。カンボジアではタイ・カンボジア国境のサイトII難民キャンプでの支援活動に始まり、1992年からはプノンペン郊外にあるキエンクリエン国立リハビリテーションセンターにて障害者のための職業訓練校と車椅子工房を運営しています。訓練校では現在、オートバイ修理、テレビ・ラジオ修理、鞄製作の3つのオプション科目があり、30名の生徒が訓練を受けています。こうした障害者への支援を通じてカンボジアにおける地雷問題の深刻さを感じ、99年からは地雷被害者の特に多いシェムリアップでの医療活動を展開する予定です。現在日本人スタッフ4名で頑張っております。これからもよろしくお願いいたします。
チャムカーモン区の赤十字ヘルスセンターにおける医療協力事業を1992年に開始しました。過去医師、看護婦、助産婦を赤十字病院より派遣し、また施設・設備の強化を支援した結果、看護水準・治療技術が向上、当ヘルスセンターの利用者は大きく増加しました。現在はカンボジア赤十字のボランティアを取り組むことを含めた公衆衛生活動の始動に向けた準備を進めています。代表部には調整員として船橋智、クメール人スタッフが2名が勤務しています。
第1回プノンペン日本語スピーチコンテスト 結果
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